






Silence also speaks through the frame.

The structure is always there, even when unseen.

To see is to reconstruct what has been hidden.

Recorded at the intersection of art and documentation.

Every frame remembers its own distance.
アートでは、自分の中にある疑問に対して見立てを立て、作品として成立させます。広告のディレクションでは、クライアントの課題に対して見立てを立て、画として着地させます。問いを構造化して形にするという行為は同じです。その構造を最後まで貫くには、演出だけでは足りませんでした。撮影、CG、合成、仕上げ──すべての工程を自分の身体で通らなければ、自分が考えるディレクションは成立しなかったのです。

広告の演出家にとって、企画と演出は切り離せません。ただ、企画段階で撮影・照明・CG・合成・仕上げまでの技術コストを具体的に見通せるかどうかは、それぞれの技術を実務として経験しているかどうかで決まります。すべての工程を通ってきたことで、「この画がこの予算で成立するか」を企画の段階で判断できます。

カメラマン、照明、CGアーティスト。彼らがどう考え、何を見て、監督の言葉にどう反応するか。すべて見越した上でディレクションを組み立てます。10段階のうち7くらいまでの前提共有は省略できるので、最初から核心に入れます。そして現場で積み上がった判断を、クライアントが理解できる言語に翻訳して届けます。

30名規模の組織を20年にわたり率い、数億単位の予算に責任を負ってきました。クリエイティブの判断を、経営の言語に翻訳できるのは、この経験があるからです。美しさの話と、合意形成やリスク管理の話。その両方を同じテーブルで語れることが、自分の仕事の土台になっています。決裁者の時間を奪わず、判断材料を的確に届ける。それも、現場を経営していた人間だからできることだと考えています。



