ある場所で、売上の桁数で人を測る会話を耳にした。
「あの会社は2億だが、あちらは10億だからあっちが正しい」
数字は議論の材料にはなる。でも、人の価値の序列にはならない。
その一線を越えた瞬間、話は"価値"から"序列"にすり替わる。
お金は、効率的で、人気のある場所へ流れていく。構造としてそういう性質を持っている。
ただ、その流れをそのまま人間的な価値に翻訳してしまうと、世界の複雑さが消える。
野菜を作る人、介護を担う人、アニメの1コマを描く人。
数字が小さい場所にも、社会は折り重なっている。
映像や写真の現場でも似たものを感じる。
予算の規模が、表現の誠実さと一致するとは限らない。
むしろ条件が限られた現場ほど、僕は「何を作るか」より先に「なぜ作るか」を確認する。
見る速度を落とし、判断を雑にしない。見えない部分で手を抜かない。
表現の誠実さもそうだが、何より、価値に誠実でいられる表現者でいたい。
数字は必要だ。けれど、数字は人を測るためのものではない。
僕は、序列化の会話に加担したくない。
誰かを下げずに、観察を続ける。
自分は、その側に立ちたい。









